「町のためにできること」
地域おこし協力隊の目指すもの(前編)

2009年に総務省によって制度化された地域おこし協力隊は、地域活性化や移住促進の担い手として、全国の地域で活躍するようになりました。
富士見町でも、2017年2月現在、5名の協力隊が町のために奮闘しています。

今回は、2015年から「富士見森のオフィス(※)」で働く松井あやかさん&渡辺葉さんと2016年から社会福祉協議会で働く久保有美さんに、富士見町について、移住について、そして協力隊のしごとについて、本音で語ってもらいました。


写真左から、渡辺葉さん、久保有美さん、松井あやかさん (この他にも2名の方が協力隊として活躍されています)

−−まずは、なぜ富士見に来ようと思ったのか、なぜ地域おこし協力隊になったのか、出身地も含めて教えてもらえますか?

松井  私は愛知県出身で、おととし(2015年)の12月1日に協力隊として富士見に移住してきました。
もともとフリーランスで場所を問わずに仕事ができるので、八ヶ岳のふもとにある両親の別荘に毎月通ってたんです。
インターネットで町の情報を検索していたら、当時できたばかりの富士見森のオフィスのサイトが目に止まって、協力隊としてこのオフィスの運営・管理を行う求人募集が載っていたんです。
月ごとに通うだけではなく、住んで生活をしたいという気持ちがあったことと、今までの仕事との兼業でも良い条件だったので、応募したら採用して頂きました。

渡辺  私は神奈川県出身、おととし(2015年)12月なかばに移住してきました。
それ以前から知り合いが何人かこの地域に移住していて、遊びに来る機会があったんです。いい町だなと思っていたし、高校時代はアメリカの田舎町に住んでいたので、都会で働く生活は肌に合わないなと感じていました。
この町で家と土地を見つけて、アートスペースのようなものを自宅の敷地内でやりたいなと思い、役場に行ったんです。そうしたら協力隊の仕事を紹介してくれました。応募したらとんとん拍子で採用が決まりました。私も森のオフィスの運営・管理をさせて頂いてます。

久保  私は去年(2016年)の11月からなので、まだ移住したばかりなんです。出身は東京都で、さいたま市で福祉の仕事をしていました。
他地域の協力隊の募集要項と違って、富士見町の募集はやることがはっきり決まっていたんですよね。町の福祉課で社会福祉協議会の人たちと一緒に福祉を盛り上げていくという内容でした。
都会の福祉施設のあり方や仕組み、働き方に疑問を感じていたことと、昔から山に登るのも眺めるのも好きだったし、好きな景色に囲まれて心豊かに暮らしたい、という思いもあって応募しました。

私は今までアート活動をやってきたこともあって、アイディアを出して物事を進めていくのが好きなんです。例えば高齢者の方向けのサロンなど、これからあれこれ工夫することでもっと人が集まったり、楽しい場所になったりできればいいなと考えています。

−−皆さん都会からはじめて富士見に来たということですが、良かった点や驚いた点などはありますか?

松井  富士見がいいと思うのは、自然がとても豊かだけど、都会的な便利さもあるというところですね。たとえば24時間営業のスーパーが駅前にあるので、とても助かっています。かといってチェーン店だらけの街並みでもないし、バランスがいいですよね。

渡辺  私は以前田舎に住んだことがあるので、風景には慣れていましたが、車の運転がはじめてで、それに慣れるのが大変でした(笑)。
あと、灯油を車で買いにいかないといけないこととか。

久保  ホームタンクはないの? 車で行かなくても灯油屋さんが来てくれるよね?

渡辺  あ、ホームタンクも驚いた点でしたね。最初は「何だろう?」って(笑)。
富士見町は本当に寒いので、大体の家に灯油を貯めるタンクがあるんです。でも、前住んでいた家には無かったので、車で買いに行ってました。

久保  へぇ。私もまだ知らないことがいっぱいありますね(笑)。

渡辺  あと良かった点は、ご近所付き合いがさかんなことですね。今住んでいる地区は古くからの集落で、移住してきた人も多いところなんです。だから、比較的オープンな雰囲気がありつつも、地域のつながりも強い。隣や向かいの家の方々がどんな人かわかる、という安心感があります。例えば万が一留守の時に火事が起きてもすぐ見つけてくれるだろうとか。都会に住んでいると、まわりは知らない人だらけですから。

久保  私は町の中心部に近い賃貸だから、そういうのはまだ少ないですね。

松井  同じ富士見町でも地区によって色々と違って面白いですよね。

渡辺  去年の夏、同じ地区に住む友人が地区の公民館で結婚式を開いたんです。そしたら地区に住むおじさま方が集まってくれて、司会進行までしてくれて。そこで新しく知り合えた方も増えました。
とはいえ、まだ完全に地区の中で責任を果たせているという感じではないです。ちょっとだけ「こんにちはー」をした、という感じですね。

−−そもそも、今の地区に住むようになったきっかけは?

渡辺  同居人が町中を車で回って住めそうな空き家を探してたんです。良さそうな空き家を見つけては、その近所の人に声をかけて、貸してくれどうか訪ねて回ったそうです。私の前の家は駅の近くだったんですが、もう少しゆったりとした地区に住みたいと思っていたので、私も引っ越してその家に同居することにしました。

久保  空き家ってどうやったらわかるの?

渡辺  庭の手入れがされてないとか、メーターが動いてないとか、車が停まっていないとか、よく見ればすぐに分かるみたいですよ。結構荒れちゃってるんですよね。

−−この記事を読んでいる方は、富士見町以外の方も多いと思いますが、そもそも「地区」ってどういうものか、教えてもらえますか?

渡辺  そもそも富士見町は、昔からの集落が集まってできた自治体なので、集落ごとの自治が残っていると聞きました。面積も広くて町の行政だけでは管轄しきれないので、行政機能を各集落にある程度任せている。その集落を「地区」と呼んでいます。

松井  例えば公道の雪かきも、行政だけではなくて、地区の人たちが皆で助け合ってやっていますよね。移住するまでは、そういうのって自治体が全部やってくれるものだと思っていました。「一緒に生活している」という感覚があります。
そういった近所での助け合いや仕事があることで、町全体の予算や政治がどうなっているのか、ということも意識するようになりました。今まで住んでいた都会ではほとんど気にしなかったんですが。
御柱祭の影響も大きいのかなと思います。地区の人たちで共同作業をする、そういったことを大事にする風土があるなと思います。

(後編に続きます)

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