クリエイター講座2017作品
【木版画 太田二郎さん】

木版画の太田二郎さんは、東京都目黒区の出身。子どもの頃住んでいた家の近くには神様が祀られている池など神社仏閣があり、近所のお年寄りから言い伝えを聞いて育ちました。信仰や参拝にまつわる話は、幼い太田さんを虜にしました。社会に出てからも、それは変わりませんでした。大学を卒業後、鍼灸の専門学校で学び、都内で鍼灸師として開業した太田さんは、出張に行った先でも、その土地の神様に会いに神社仏閣巡りをしたそうです。

鍼灸師の仕事を辞めた後、独学で木版画を始めます。
実は小さい頃から東京を出たいと思っていた太田さん。
大人になるにつれてますます生まれ育った場所を住みにくいと感じるようになりました。出られるなら行き先はどこでもいいとあちこちを探し、2011年富士見町へ奥様と一緒にやってきました。実は学生時代、大学の卒業論文研究のため富士見町にあったベネディクト修道院(2016年夏閉院)にしばらくの間泊まり込みで生活していました。しかし当時は富士見町について、さほど関心はなかったそうです。
引越しをしたのは12月1日。太田さんにとって2度目の富士見町です。新たな気持ちで町の事を知りたいと、富士見町図書館で調べたところ、この日は川の神様である河童に蕎麦がきを供える「川びたり」というお祭りの日だとわかりました。自分達の新しい生活の始まりの日、昔から伝わりお祭りがある偶然は、太田さんの目に見えないものへの好奇心を刺激したようです。それからは神様巡りをしたり、道行く地元の方から土地の云われを聞き出したり、図書館で調べたりして富士見町に親しんでいきました。
「諏訪圏は他の場所とは違うんですよ。地元の勢力が強くて、中央政権が治めきれなかった場所なんです。富士見町に伝わる昔ばなしにもそれが表れています。例えば…。」と、富士見町に流れる川の云われを語ってくれました。
富士見町と山梨県北杜市の境を流れる「甲六川(こうろくがわ)」、元々この川は「恋夫老久川」という字があてられていました。それは古代の昔、結婚してすぐに夫を大蛇にさらわれてしまった女性が、長いこと川のほとりで夫を思い続け年老いてしまったという云われから名付けられました。そしてその大蛇は、この地を訪れたヤマトタケルノミコトによって退治されました。その後大蛇が討ち取られた場所の近くを流れる川の音が切なく聞こえると、悪い大蛇ではあったが哀れに思って「音歌悲川(現・乙貝川 おっかいがわ)」と川を名付けました。
昔ばなしと地名と昔の呼び名や当て字が教えてくれる富士見町の姿。太田さんは昔ばなしの舞台を訪れて、誰も見た事のない過去から繋がる長い長い時間の流れるを実感します。
豊かな自然とたくさんの言い伝えと歴史が残されている富士見町。こちらへ来てから木版画の題材が、妖精や精霊、神様といった伝承の生き物に変わりました。作り続けた作品は、2015年木版画集『よきお隣さん』にまとめられました。
今は、作品作りという好きなことに夢中になれて心が喜んでいるという太田さん。これから作ってみたい作品は、信仰や参拝にゆかりのある土地へ祈るために訪れた人々が、家路につく時にふと手に取りたくなる作品と教えてくれました。それは単なる土産物ではなく、日常生活に戻ってもその時の気持ちを忘れないための木版画かもしれません。

人々は昔をこの目で見ることはできません。しかし地名や語り継がれてきた伝承などから、富士見町の長い歴史がわかること。それがこの地の魅力だと太田さんは教えてくれました。

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