【第9回】 両国屋豆腐店 代表 石垣貴裕さん
富士見町商店街にある老舗店舗のひとつ、両国屋豆腐店。
昭和24年に開業、親子三代にわたって70年以上もお豆腐を作つづけています。
現在は、次男の石垣貴裕さんが代表となり、伝統の味を守りながら新たな挑戦が続いています。
両国屋豆腐店 店舗前
−−Q.豆腐屋を継いだ経緯は?
実は、家業を継ぐ気なんてさらさらなかったんです。大学で家をでましたし、卒業してからは東京でサラリーマンをやってましたから。そんな時、富士見で店を継いでいた兄が病気で亡くなったんです。
兄の死があって、ふと店のことを考えたとき、両国屋がなくなることが受け入れられなかったんです。
両親から「継いでくれ」と言われたことはなかったんですが、商店街から両国屋をなくすことだけはしたくなかったんです。
実家に帰ることを決意してから直前に母には報告したんですが、「え?帰ってきて何やるの?」って言われてました(笑)。父は少し喜んでいたらしいですが、母は現実的な人なのでとても驚いてましたよ。でも私の中では、ごく自然な流れで富士見に戻ったと思っています。
−−Q.豆腐づくりはどうやって覚えたんですか?
Uターンし、豆腐屋になる!と宣言したものの、経験ゼロからのスタートでした。親子ですから、手取り足取り教えてもらう、ということではなかったですよ。小さい時からつくり方はなんとなく知ってはいたものの、素人同然。親父の姿を目で見ながら様子を伺う感じです。
正直いうと、最初は豆乳を入れて、にがりを入れて、濃度さえしっかりしていれば作れると思っていたんです。でも全然ちがう。同じ材料なのに、昨日つくった豆腐と今日つくった豆腐とでは味が全然違うんです。それだけ豆腐は大豆の鮮度だったり、気温、湿度、1度の水温で味に差が出てくるんですよね。そこが難しいところでもあり面白さでもあります。“こだわり”っていうとカッコよすぎますが、微妙な環境の変化にも気づいて豆腐と毎日向き合ってます。それに自分でつくった豆腐を食べてみるとやっぱりうまい!うまい豆腐が作れると、やっぱり楽しいかな。
−−Q.継いでからご苦労されたことは?
私が戻った当初はほぼ卸専門の豆腐屋だったんです。毎日毎日豆腐を作って卸に出して…の繰り返し。家族経営ですから、父も母も、もちろん私も休んでいられない。ほぼメーカーみたいな働き方だったと思います。人も機械もフル回転して豆腐をつくっても大きいメーカーさんにはかなわないんですよね。このまま働き続けていたら、体がもたないし、豆腐屋としての未来はないな、と感じていました。そこで、採算が合わない商品を見直して、思い切って生産をやめたんです。見事に売り上げは下がりましたよ(笑)。でも国産大豆にこだわって、両国屋でしか作れない味、手作りしか出せない硬くて、手間のかかる木綿豆腐を作り始めると、徐々に売上も安定してました。看板商品のひとつにもなっている木綿豆腐が、地元の小学校やお店、お客様にも徐々に受け入れてもらえきたのかなと思っています。それに数年前から店頭での小売を始めたことでお客さんを近くに感じることができるようになりました。小売もゼロからのスタートでしたから、商品や売り方のヒントをお客さんから直接もらってます。お客さんと顔を合わせて話ができて、直接反応がかえってくると疲れなんて吹き飛ぶし、嬉しい時間です。
固めに寄せたオリジナル商品のもめん豆腐
−−Q.富士見町商工会の理事でもある石垣さん。
これからの富士見町や商店街をどうしていきたいですか?
私が小さい時の富士見の商店街ってすごく活気があって、ごったがえすぐらい賑わっていた記憶があるんです。子ども心に大人たちもすごく楽しそうにしてたのを覚えています。もっともっと活気づけたいなって思っています。たまに自分が何者なのかわからなくなりますが、子どもたちには「なんか父ちゃん楽しそうにやってんな」って思って欲しいですね。
大人が楽しめる富士見、そしてそんな大人を子どもも楽しそうにみてる富士見。
そんな富士見にしていきたいな、と思っています。
もちろん、豆腐屋としてもがんばっていきますよ(笑)
−−豆腐への想い、そして富士見愛に触れることができた貴重なお話、ありがとうございました!
もめん豆腐、また買いに行かせていただきますね。今日はありがとうございました!!
両国屋豆腐店おすすめ商品 絶品「絹揚げ」。毎日揚げたてが陳列されています
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