富士見のひと 区長特集
ランディン・ロンダさん(広原区長)

富士見のひと 特集「区長に聞く」第1回 広原区長 ランディン・ロンダさん

富士見町内に39ある行政区。住民の自治で運営され、行政機関(町役場)からは独立した存在のため、それぞれの区の実際のすがたは、外部からはなかなか見えてきません。そこでせんにんでは、各区の区長にインタビューを行い、区の実態や活動についてお話し頂くとともに、区長の人となりを紹介することにしました。
記念すべき第1回目は、町内でもっとも新しい区である広原区のランディン・ロンダさんです。

区名:広原区
区長:ランディン・ロンダ(2018年)
地域:富士見高原別荘地(鉢巻道路周辺)
加入区民世帯:約30世帯
加入区民数:約57名
区費:3000円/年(正区民のみ)
主な行事:ピザパーティ、BBQパーティなどの親睦会、クラブ活動、勉強会、等

ーまずは広原区について、教えてください。

広原区は、富士見高原の別荘地に住んでいる人たちで構成されている区で、7年前に発足した、富士見町の中で一番新しい区です。それ以前は別荘地の住民自治会で、別荘地の管理会社(富士見高原リゾート)に色々と任せきりの状態でした。しかし、定住する世帯も増えてきたし、自治会から行政区になって積極的に住民自治を行い、町に対して意見も言える態勢にしたいと思って区としてスタートしたんです。私たちも住民税、町民税を払っているわけですからね。

この区の大きな特徴のひとつは、区域がとても広大ということです。端から端までは10kmもありますし、別荘地区なので、各家のお隣までの距離もかなりあります。そんな地域ですから、区に加入して普段から住民の顔を知っておくことがとても重要だと考えているんです。いざ災害が起こった時など、孤立してしまう恐れもありますから。

ー今年9月の台風襲来では倒木による停電や土砂崩れもありました。特に別荘地のあたりは被害も大きかったですね?

まさにそうなんです。いざという時に誰に声をかけたらいいかとか、区で活動をしていれば、そういうことを把握できるんです。この間の停電の時は、皆で電話をかけあって「大丈夫ですか?」と声を掛け合うことができました。

ー7年前に自治会から行政区になって、どのように変わりましたか?

以前の自治会の時は、町役場も「別荘地のことは基本的には管理会社に任せる」というスタンスだったように思いますが、区になってからは町からのサポート態勢ができてきたという印象はあります。防災訓練の時の安否確認についてもそうですし、世帯ごとに数100円ではありますが、活動支援金も入ってくるようになりました。

ー区費と加入率については?

区費は年間3000円。安いでしょう?(笑) ただその代わり、別荘地区の管理会社に維持管理委託費を払っています。土地面積にもよりますが、平均的な300坪程度の土地で年間2〜3万円程度、私の家は1200坪と少し広めで4万円弱です。この依託費でゴミ出しや道路整備・清掃などもある程度やってくれていますから、満足しています。その代わりに区費をうんと安くして、活動も親睦がほとんどというスタイルですね。

でも残念ながら、なかなか加入率が低いというのが現状です。区内には約600軒の家があって、定住しているのは100世帯ほど。そのうちの30世帯、57名が区の加入者です(2018年現在)。都会の生活を経てこの別荘地に移住してきた方々がほとんどですから、近所づきあいが面倒という気持ちもよくわかりますが、もう少し加入者が増えてくれると、もっと活発になって面白いと思うんですけどね(笑)

区民の特徴としては、年齢層が高めということがあります。定年後に移住された方が多いですから。年長の方は90代、平均的には60代ぐらいです。今年は30代の若い方も区に入りましたが、お子さんがいる家庭は少なく、3世帯ぐらいですかね。学校まで遠いので、送り迎えをしなければならず、この地域は小さい子供をお持ちの家庭はそれほど多くないんです。

ー区の活動内容は?

夏にはピザパーティー、秋にはバーベキューパーティー、町の防災訓練。日常的な活動として、ランニングクラブやテニスクラブがあります。勉強会を開くこともあります。最近この近辺で熊の目撃情報が増えているということで、今月はツキノワグマについての勉強会を行いました。30世帯、57人ですから、大体みんな顔見知りですよ。

ー楽しいイベントが多いですね(笑)

ここはみなさん移住者ですから、他の区のように古くからのつながりや親戚関係などが強くないでしょう? だから、楽しい事をたくさん企画して、親睦を深めて、顔見知りになることが一番大事だと考えているんです。

ーロンダさんが富士見町に移住した経緯も教えて頂けますか?

私の出身はアメリカのミネソタ州、現在58歳です。私の母は日本人でしたが、アジア人や日本人が少ないミネソタで生まれ育ってきたこともあって、大人になるまで、母のルーツである日本のことをほとんど知らなかったんです。それで大人になってから、日本語と日本文化を知るために来日し、大阪で英会話教師を1年半ほど勤めたんです。1989年でした。
その後いったんアメリカに戻りましたが、1992年に当時の夫と二人で再来日しました。大阪から東京の目黒区に引っ越しして、当初は1〜2年くらいでまたアメリカに戻ろうと思っていたんですが、日本で子どもも産まれ、仕事も慣れてきて、5年になり10年になり、気づくともう25年以上日本で暮らすことになりました。

ーそれほど日本が気に入ったんですね?

そうですね(笑) もちろんそれもありますが、子どもは日本で生まれ育っていますから、子どもの生活を第一に考えると、やはりなかなか簡単に国を変えて生活するには踏ん切りがつかなかったというのもあります。

ー東京に暮らしていたということですが、富士見に来たきっかけは?

当初は目黒区だったのですが、その後多摩市に引っ越ししました。多摩市が富士見町に保養所を持っていて、良く遊びに来ていたんです。ここは故郷のミネソタに環境や気候が近いですし、この町が大好きになって、毎週のように来ていました。
そのうち、こんなにひんぱんに宿泊するくらいなら別荘を建ててしまおうと思って、2005年12月にこの土地を買って別荘を建てたんです。そうしたらますますここが好きになり、その3年後、2008年に多摩市から富士見に引っ越して定住することになりました。今年でちょうど10年目になります。

ーすごい富士見愛ですね(笑) それで、区長を務めるまでに?

はい。自分で立候補しました。この町が好きですし、もっと色々と知りたいという気持ちが強かったんです。町役場の役割、管理会社の役割、住民の役割…、ただ住んでいるだけでは分からないことが結構あります。役員や区長になればそういうことをもっと深く知ることができると思いました。
もちろん不安もありました。やはり私は外国人で、日本語も地元の方のように上手くは使えません。毎月、町から区に配布される資料があるんですが、それを読み通すだけでも結構大変ですから。でも、なんとかやっています。
それと、他の区民の方々が区長として私だから期待をかけているという面もあると思うんです。

ーロンダさんだから期待ができること…。やはり外国人ということで?

そう! 私はどう見ても日本人ではないでしょう? 普通の日本人なら遠慮して言いづらいようなことも、アメリカ人のロンダならづけづけと言ってくれる。だから区民の思いを遠慮なく町に届けてくれ、という期待があるんだと思います。実際私も遠慮なくどんどん言っちゃうタイプですしね(笑)

ー定住して10年目。富士見、そして広原区の生活はどうですか?

ここは町の中心部から離れているので、買い物や用事など、少し不便なこともあります。
でも、こんなに素敵な自然環境のなかで暮らすことができるなんて、本当にラッキーで幸せなことだと思います。

ーここはロンダさんにとって、「終のすみか」なんでしょうか?

はい。大人になってからの人生はずっと日本で過ごしてきましたし、この町が好きですから。もしあのまま東京に住んでいたらアメリカに帰りたいと思っていたかもしれませんが、この町だと疲れませんし、コミュニティにも浸透しています。アメリカには「帰る」というよりも「行く」という感覚ですね。
実は来年ぐらいに日本の国籍を取って、帰化しようと思っているんです。

日本に来て25年、大阪、東京、富士見と色々な地域で生活しましたが、富士見が一番です。こんなに豊かな自然の中で住める場所は他にないと思います。これからずっと富士見町に住みたいと思っています。

ーありがとうございました!

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